大家好!我是理美。
日本被叫做さとちゃん。
因为使用翻译软件,如果有奇怪的言词对不起。
私は矢羽根の着物が好きです。
季節の柄ではないので、コーディネートがしやすいし、
痩せて見える気がします。
この柄を見て「大正ロマン」って思う人も、きっと多いですよね。
今日はこの「矢羽根」の柄について解説します。
*
我喜欢矢羽根图案的和服。
因为不是季节的花纹,所以很容易搭配,
我觉得看起来很瘦。
看到这种花纹觉得是“大正浪漫”的人,一定很多。
今天就这个“矢羽根”的图案进行解说。
【矢羽根柄の起源 矢羽柄的起源】
矢羽根のモチーフは、もちろん「弓矢」の羽の部分です。
狩猟用の矢の羽は3枚、破魔矢などの儀式的な矢は羽が2枚です。
おそらく儀式的な羽を模した柄だったのでしょう。
江戸時代以前には武具のイメージから、胴服の柄にされています。
現代でも、男児の和服の柄としても使用されています。
*
矢羽根的主题当然是“弓箭”的羽毛部分。
狩猎用的箭羽有3枚,破魔箭等仪式性的箭有2枚。
大概,是模仿了仪式性的羽毛的花样吧。
在江户时代以前,因为给人以武具的印象,所以被当作是胴服的图案。
即使在现代,也作为男孩子的和服的花样被使用。
桐矢襖文様辻が花胴服(白練貫地 辻が花) 京都国立博物館
矢は射ると戻らないので、江戸時代には結婚する子女に持たせて流行したとか、
奥女中の着物が矢羽根だった、等と解説しているサイトや本が多いです。
しかし、浮世絵に描かれる奥女中は矢羽根の和服は着ていません。
(私が見たことが無いだけかもしれません)
矢羽根の衣装の奥女中が登場する歌舞伎の演目、
一条大蔵譚、天衣紛上野初花 は、初演が明治時代です。
*
箭射不回去,江户时代让结婚的子女带去流行,
很多网站和书籍都解说「奥女中」的和服是矢羽根的。
但是,浮世绘中描写的太太没有穿矢羽根的和服。
(也许只是我没见过)
矢羽根服装的奥女中登场的歌舞伎节目,
一条大藏谭,天衣纷上野初花,首次演出是明治时代。
歌舞伎に登場する奥女中「義高島千摂網手(奥女中滝川)歌川国定
【矢羽根と矢絣どっちが正しい?“矢羽根”和“矢絣”哪个正确?】
さて、この柄、「矢絣」と呼ばれる事もあります。
どっちが正しいと思いますか?
実は、どっちも正解です。
*
那么,这个花纹,也有被招呼「箭条纹」的事。
你觉得哪个是对的?
其实,哪个都是正确的答案。
「絣」というのは織物の技法の事で、
先に染めた縦糸と横糸の織り目で模様を作ります。
つまり、「矢絣」は「矢羽根柄の絣」の事を差しています。
絣の生地じゃない和服は「矢絣」ではありません。
日本人でも区別が出来ない人が多いです。
*
所谓的“絣”是指织物的技法。
先用染好的经线和横线织出花纹。
“矢絣”指的是“矢羽根图案的布丁”。
不是絣的和服,不是“矢絣”。
日本人也不能区别的人多。
ちなみに、絣はもともと農作業や普段着の生地でしたが、
現在の日本では高級品です。
*
顺便一提,絣原本是农活和日常穿的衣料,
现在的日本是高级品。
年代不明。絣の和服で農作業をする女性。
【大正ロマン=矢羽根の着物は嘘? 大正浪漫=矢羽根的和服是谎言?】
大正時代に流行したと記述されることも多いけど、
古写真や当時流行した夢二などのイラストでも、矢羽根の和服はあまり目にしないです。
明治時代の女学生は「華美な服装」が問題視されていたので、
当時着用していたのは絣の和服が殆どだったからです。すごく地味です。
華やかな和服ではないのが一般的でした。
*
大正时代很流行,虽然被记述的很多,
即使是古照片和当时流行的梦二等插图,矢羽根的和服也并不常见
明治时代的女学生“华美的服装”被视为问题,
当时穿的几乎都是“白点花布”的和服。太素了。
一般不穿华丽的和服。
通学中の女学生。絣の和服です。『少女画報』1913(大正2)年12月
竹久夢二の描いた袴姿の女学生。絣のような和服でテニスをしています。
上流階級の子女が多い学校は「銘仙」が許されていたので、
華やかな和服に袴を合わせたのはお金持ちの子女だった、という事ですね。
*
上流阶级子女多的学校因为「铭仙」被允许,
在华丽的和服上搭配袴的只有有钱人的子女。
良家の子女。銘仙に袴を合わせています。
とは言え、アンティークの着物でも華やかな矢羽根柄の和服は存在しているので、
好まれた柄だったのは事実でしょう。
*
虽说如此,古董和服也有华丽的矢羽花纹和服。
当时的人们喜欢的花纹是事实吧。
親達はどんな気持ちで、矢羽根柄の和服を娘に着せたのでしょう?
「弓矢で娘を守りたい」でしょうか。
「素敵な男性を射止めて欲しい」でしょうか。
*
父母们用怎样的心情,让女儿穿了矢羽根花样的和服吧?
是「想用弓箭守护女儿」吗?
是「希望射止极好的男性」吗?
谢谢你读 !
理美